無人島長平
横井さんや小野田さんもすごいけれど、鳥島に流されて、かつ、生還した江戸時代の人がいたのには驚きました。
土佐くろしお鉄道香我美駅の下
土佐くろしお鉄道はJRが赤字で継続できなかった廃線の横に、新たに線路を引いて開通させる、という正気とは思えない赤字路線です。普通の人は自家用車を利用し、車がつかえない場合はバスを利用しているようなので、利用客はほとんどいません。
ということで電車の駅は行き方ではなく、大体の場所を覚えておくための記録になります。私はお遍路の途中で立ち寄りました。ダンプカーや大型車がバリバリ走っていて、歩くのに適していない国道をじりじり進んでいるとこんな看板が見えます。
知らない人でしたがダンプの轟音から逃れようと左折します。
生き延びて、かつ、生還
像自体はなんということもなさそうな貧相なオジサンに見えるのですが、横に建ててあった碑と説明文を見てたまげました。
1785年(250年くらい前)、27番札所から少し歩いたところにある奈半利から船で戻ろうとして嵐にあい、鳥島まで流されたのだそうです。
縮尺が変なので単なる島ですが、ぐるぐるまわりを見ると日本からすごく遠いです。ここは鳥島という名前通り、産卵期ならアホウドリが手づかみでいくらでも捕まえられるところなのだそうです。
長平さんは卵の殻に一日一杯って決めて雨水を飲み、鳥を食べて生き延びたようです。鳥島が潮流に流されやすい場所にあるのか、長平さんが生き延びている間に(仲間は皆死んでしまったようです)また別の場所から流されてきた人と合流します。
それだけでも十分すごいのですが、長平さん達は船を建造して日本に帰ってきたのです。
江戸時代に鳥島まで流されて生還した人がほかにも何人かいるそうです。
以下のような書籍がおすすめです。
漂流(吉村 昭著)この長平さんのお話。小説になっていますが、事実は丁寧に調べてあるようです。
漂流の島(高橋 大輔著)アホウドリの保護以外の上陸が非常に難しい中、鳥島へ一度は行けたようです。
玉錦のお墓も
28番大日寺へのお遍路ですが、この近くに玉錦のお墓もあります。現役のまま死んでしまっためちゃくちゃ強かったお相撲さんです。